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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

オルセー美術館展に行ってきました

そんなに美術に造詣が深いわけでもない自分としては、こういう「○○美術館展」って難しい。いろんなジャンルのものがばばばばって示されて、なんとなく消化不良になってしまう。
このオルセー美術館展は、いきなりドガが迎えてくれて、少なくとも時代的には、50年足らずのポスト印象派時代を駆け抜ける、という作り。それでも冒頭に書いた消化不良感が残る。そんなにいっぱい見せられてもパンクしちゃうよー、というかんじ。
こうなると、もうこの「消化不良感」それ自体に意味があるとすら言ってよいと思う。印象派がいかにそれまでの芸術を破壊し、そして「印象派後」の画家達がいかに混沌の中での手探りを迫られたかということ。ここに出展されているすべての絵の間に共通点があるとすれば、それだけなのだと思う。絵画とは何か、美とは、芸術とは何か、この問いへの「正解」が破壊され尽くしたあとで、それぞれ答えを出そうとした画家達の苦悩と、自分こそが芸術の「新たな王道」だという自負とが、どの作品にも刻みこまれているということ。この一点において、「オルセー美術館展」の作品群は同じ輝きを放っている。

個々の絵は冒頭に掲げたとおり消化不良気味なので、特に印象に残っている絵を少しだけ挙げて感想をつけておくことにする。


セザンヌ「ギュスターヴ・ジェフロワ」
セザンヌ。彼の絵は、こちらへ迫ってくる。
机に乗せられているはずの手の部分に注意してみよう。この手はどこに乗っているのだろう。そして手と手の間の空間。この箇所の机と人物の胴との境目は、かなり曖昧にしかえがかれていない。
答えはおそらく単純であろう。この箇所の奇妙さが、注意しなければ気づかれないということ、そのことが既に答えである。我々は、実際に人物に向かい合うとき、手と手の間の机など見ないのだ。セザンヌはそのことに気づいていた。
だからそれを「奇妙」と呼ぶのなら、それはセザンヌの奇妙さではなく、我々の感覚に織り込まれている「奇妙」さなのだ。セザンヌの目は、それをも写し取る。我々のまなざしは、対象を眺めるのではなく、対象に交わり、溶け合ってゆくものなのである。あるいは我々の前の人物は、我々と無関係な「物自体」などではなく、われわれが感官でとらえる限りでの対象でしかないのである。セザンヌの絵の「奇妙さ」は、このことをまさに表象=再現するのである。


シャヴァンヌ「貧しき漁夫」とボナール「ベッドでまどろむ女」
遠くから眺めるだけなら、とにかく地味で、印象に残りそうもない絵。しかし正面にたった途端に、この絵に吸い込まれる。

上に開いた、逆三角形の構図。その頂点に位置する、この絵の主人公と言うべき漁夫。彼が放つ無限とも言うべき悲哀に、まずは心が捕らえられる。そしてこの悲哀が、三角形のラインに沿って、画面上方へと、そしてさらには全世界へと、発散されてゆく。この絵の正面にたつと、その発散される悲しみが見えてしまう。

ところでこの絵と同じ部屋に、ボナール「ベッドでまどろむ女」が置かれている。これは「貧しき漁夫」とは逆に、女性の性器を頂点とする上向きの三角形が画面の中心をなしている。画面全体からたちのぼるけだるい官能が、まさにその根源たる女性の性器へと、凝集されてゆく。

きっとそういう意図はないのだろうけれど、すぐそばに置かれたこれら二枚の絵は、静謐な悲哀が某漠たる無機質な空間へと発散してゆく様と、官能の悦びが幻惑し燃え上がる生命へと凝集されてゆく様の対照を示してくれるかのようで。静と動、死と生、諦めと希望、襲いかかる運命とあらがう生命、そんなコントラストに思いをはせたくなる。


アンリ・ルソー「蛇使いの女」
アンリ・ルソーの絵は、この展覧会にあってまさに異「彩」を放っている。とにかく彩りが異なる。独特の、人工的な光沢に圧倒される。

更に全体の構図に目を向けて気づかされるのは、その独特の遠近感である。個々の対象、たとえば生い茂る草、蛇たち、蛇使いの女、湖、空のそれぞれは、独特の光沢にとってふくらみは与えられてはいる。しかしそのふくらみは透視図法とは似ても似つかないし、セザンヌのように対象がこちらに迫ってくるというものでもない。しかしその一方で、それぞれの対象の間にははっきりと前景・中景・背景程度の、ざっくりとした遠近の区別が感じられる。いわばそこに描かれているのは現実そのものではまったくなく、誇張された舞台装置なのである。これは印象派やリアリズムよりむしろ、遠近法完成以前のジォットのスクロヴェーニ壁画を思わせる。

これらの人工的な光沢と、舞台を思わせる限定的な遠近感によって、ルソーの絵は対象を描くことを超出している。彼の絵は対象を描くことを免れ、現実を書かないことによって、現実よりもリアルな、フィクショナルなリアリティを獲得しているのだ。


いかがでしたでしょうか。饒舌に筆を滑らせるのが楽しくて、いろいろと危ういことを書いてしまった。美術展としては異常にこんでるし、超おすすめとはいえないけど、一見の価値はある、という感じです。印象派以後の絵は「一堂に会する」ことはなくても、結構日本でも見られる気がするし。