長椅子と本棚2

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プリキュアと性犯罪に相関関係があるからなんなの?

タイトルは目立つように挑発的にしてみました、こんばんは〔9/7 2:45 タイトルに「プリキュアと性犯罪に」を追加。公開後にいじる癖あってすみません〕。筋が通ってそうで通らない、噛み合いそうで咬み合わない議論を見ていたら、「整理したい欲」が湧いてうずうずしてきたので記事にしてみます。

今回は、こちらについて。
生島 勘富 さんの「アニメが好きなことは、幼女に性犯罪を犯す必要条件になっている」について

さしあたり、生島氏の主張を取り出していくところから始めましょう。


(1)オタクであることは、性犯罪者であることの十分必要条件である〔追記:このミスはひどい…。〕。

(2)オタクであることと、性犯罪者であることの間には相関関係がある。

(3)オタクであることと性犯罪者であることの間には因果関係はない。

(4)私には、オタクの気持ちが理解できない。

(5)理解できないものは怖い。

(6)オタクは怖い。

(7)少女向けアニメを見ない人は、性犯罪の理由を少女向けアニメに求める。

(8)オタクが糾弾されるのは仕方ない。

(9)アニメは規制されても仕方がない。


 これらの主張の内容と、相互の関係を順に見て行きましょう。まず、(1)。十分条件と必要条件の違いということが何度もまとめの中にでてきますが、この違いはよろしいでしょうか。

「Aが成立するときには必ずBも成立する」

という関係があるとき、AをBの十分条件、BをAの必要条件とよび、

A→B

などと書きます。

 たとえば、「ある図形Xが二等辺三角形ならば、必ずXは三角形である」という関係は成立しますね。このとき、「Xは二等辺三角形である」は「Xは三角形である」の十分条件、逆に、「Xは三角形である」は、「Xは二等辺三角形である」の必要条件です。この「Xは二等辺三角形である→Xは三角形である」という関係は、「二等辺三角形」というグループが、「三角形である」というグループの中にすっぽり含まれている、ということを意味しています。(高校数学を習った方は、「ベン図」というのを思い出してみてください。)

 ここで、今回の問題である、「少女向けアニメ」と「性犯罪」をあてはめてみましょう。
生島氏の主張は、「N氏は少女向けアニメ愛好者である」が、「N氏は性犯罪者である」の必要条件だというものです。これは、さっきの矢印でかけば、「N氏は性犯罪者である→N氏は少女向けアニメ愛好者である」となります。つまり、「性犯罪者」というグループが、「少女向けアニメ愛好者」というグループの中にすっぽり含まれている、ということです。

 (1)についてはこのくらいでいいでしょう。次に、これと(2)の関係を考えてみます。

 生島氏は(1)と(2)が全く同じ主張であるかのように発言されていますが、ここには誤りがあります。しかしその前に、まずはここでの「相関」ということが何を意味しているかをはっきりさせておきましょう。相関関係とは、ざっくり言えば、AであればあるほどBでもある、という関係のことです。例えば、練習すればするほど歌がうまくなるのであれば、練習量と歌のうまさの間には相関関係があります。これがちゃんとあるかどうかを確かめるには公式があって、私は正直忘れてしまったのでWIkipediaなんかを見ていただきたいのですが、今回の場合は、「日本国民全体に占めるオタクの割合」より、「性犯罪者に占めるオタクの割合」が大きいならば、相関関係があると考えてよさそうです。(途中、性犯罪者の5割以上がオタクであるならば云々、という議論がされていますが、もっと低い割合でも「相関関係」は言えると思います。でもそこで揚げ足をとっても仕方がないと思います。)

 「相関関係」の意味がはっきりしたところで、(1)と(2)の関係に移りましょう。(2)は(1)よりも、二つの意味で「ゆるい」主張になっています。第一に、「必要条件」は100%でなければいけないが、「相関関係」ならもっとずっと低い割合で存在していればいいということ。性犯罪者なのにオタクでない人がひとりでもいれば、「Nは性犯罪者である→Nはオタクである」という必要条件の関係は成り立ちません。この点にひとつ誤解というか、用語法の粗さがあるように思います。

 もうひとつは、相関関係は、必要条件の関係に似たものとは限らない、ということ。例えば、オタクの多くが性犯罪者であった場合にも、「オタクであること」と「性犯罪者であること」の間には、相関関係があるといえるでしょう。しかしこの場合、「オタク」と「性犯罪」の関係は逆転しています。つまり、「オタクであること」が「性犯罪者であること」の十分条件になっています。生島氏はこの関係については否定していますが、単に「相関関係」といってしまうとこうした解釈が可能になってしまう、という点で、印象レベルの不要な反発を招いてしまっているように見えます。

 ここで(3)も確認しておきましょう。生島氏はオタクと性犯罪の間の因果関係は否定していると取れる発言をしています。つまり、性犯罪者の多くはオタクかもしれないけど、アニメを見てたら犯罪したくなるということはないだろう、と。

 ここまで、(1)から(3)までの主張を見てきました。この三つを、とりあえずひとくくりとして捉えておくのがよいように思います。

 次に(4)から(6)をセットで見てみましょう。この三つは、きれいな三段論法の形になっています。三段論法というのは、B→Cという「大前提」と、A→Bという「小前提」から、
A→Cという「結論」を導くという形の証明で、アリストテレスが定式化したことで有名です。
例えば、

「人間はいつか死ぬ」(大前提)
ソクラテスは人間である」(小前提)
ソクラテスはいつか死ぬ」(結論)

というのが、論理学の教科書には必ずでてくる三段論法の代表格です。

 今回の場合は、

「よくわからないものは怖い」(5・大前提)
「オタクはよくわからない」(4・小前提)
「オタクは怖い」(6・結論)

となりますね。この推論には、問題は全くなさそうです。

 ここまでは、ちょっとわかりにくいところはあっても、それほどヤバイ議論ではないように思います。問題は、のこる(7)(8)(9)です。(7)「一般人は、性犯罪の理由をオタクであることに求める」の根拠は何なのでしょうか。候補として、(2)と(6)が挙げられるように思います。

 (2)だとすると、ここでは、オタクと性犯罪の間に相関関係があるから、性犯罪の理由がオタクだと考えてしまう、と主張されていることになります。しかし、こう解釈するのは難しそうに思えます。というのも、生島氏自身が(3)で、相関関係を因果関係に結びつけることを否定しているからです。

 そうだとすると、残る可能性は、(6)が根拠だ、というものです。つまり、「オタクは怖いから、犯罪を犯す理由だと思われても仕方がない」というのが、(7)の真意だということになります。

 (8)「オタクは糾弾されても仕方がない」と、(9)「アニメは規制されてもしかたがない」についてはどうでしょうか。これらについても、(7)と同じことが言えそうです。オタクであることと性犯罪を犯すことの間に因果関係がなく、相関関係だけなのだとしたら、(8)のように、オタクが糾弾されても仕方ないとまでは言えないのではないでしょうか。なぜなら、これを認めることは、「犯罪との相関関係があるのならば糾弾されても仕方ない」という主張を支持することになるからです。「金がないことと窃盗を犯すことの間に相関関係がある」ならば、「貧乏人は糾弾されても仕方ない」というのは、明らかに暴論であるように思えます。

 (9)についても同様です。アニメを見ることが原因で犯罪を犯すというわけではないのだとしたら、アニメを規制したって犯罪は減らないので、規制することに意味は無くなるでしょう。こう考えると、(8)や(9)の根拠も、(2)ではなく(6)だった、ということになりそうです。つまり、オタクは怖い、だから糾弾されても仕方ないし、アニメも規制されても仕方ない。

 これまでの整理が正しいとすると、生島氏の議論のうちの(7)(8)(9)に関しては、受け入れがたいものであるように思えます。よくわかんなくて怖いから犯罪を犯しそうだと思われても仕方がない、というのは、マイノリティへの差別そのものです。

 ここで注意していただきたいのは、私が受け入れがたいとしているのが、「(6)を根拠にして(7)(8)(9)を主張すること」であるということです。これは、ちょっと挑発的な記事タイトルの意味でもあります。(1)(2)(3)の、論理とか統計にかかわる主張や、(4)から(6)に至る推論に関しては、前者はデータがないからよくわかりませんし、後者は否定する理由がありません。そのため、これらを否定することは私にはできません。ただ、それらの真偽に関係なく、(6)から(7)を導くのはちょっとおかしい、ということは言えてしまうのです。それなのに、まとめられている議論は、「(1)〜(6)を否定できるかどうか」というところに、争点が(誤って)置かれてしまうように思います。

 いかがでしたでしょうか。私は分析するの楽しかったけど、対して楽しい結論は出てきませんでしたね。なんかそれこそ小学生並で申し訳ないですが、犯罪も減って、でも不当に虐げられる人もいない、みんな幸せな世界が作れるといいんですけどね。