読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

読者が引き込まれる文章に必要なもの:なぜ世界史の教科書は退屈で、マクニールの『世界史』は面白いのか

 「問いを立て、それに答えるように文章を書いてゆくと、よい文章になる」。これは、作文や感想文を卒業して、情報をきちんと伝える文章を書くために、最も重要なことの一つです。しかし、じつはこれだけ知っていてもあまり意味がありません。そこから一歩進んで、問いには大きくわけて二つの種類のものがある、ということを知る必要があります。その二つとは、Whyの問いと、Howの問いです。

世界史の教科書と、マクニール『世界史』の違い

 実例を見るところから始めましょう。以下は、マクニール『世界史』(中公文庫)への、とろろそばさんのレビューからの引用です。

これは素晴らしいと思いますよ。その意味では「人間が、どうして、どんな合理性を持ってここまで発展してこれたか」をひたすらに追求している。普通の歴史の教科書にかいているような出来事ドリブンな記述「○○が起きて、そのあと誰それがナントカ事件を起こして、そのあと同盟を組んで、、、」の後ろにある「何故それが起きるのか、それは人間の集団のどのような要望がベースとなっているのか。その動きがそのときの集団にもたらされた物は何で、結果として次に何を求め、別の出来事につながっていったか」というような形での記述になっている。
最近読んだ本 W・H・マクニール「世界史」 - 蕎麦屋

 ここでは、マクニールの『世界史』の長所が、「普通の世界史の教科書」との対比によって述べられています。実はこの両者の違いは、Whyの問いを立てた文章か、それともHowの問いを立てた文章化、というところにあるのです。あとで詳しく説明しますが、Howの問いを立てて文章を書くと、どうしても「○○が起きて、そのあと誰それがナントカ事件を起こして、そのあと同盟を組んで、、、」という、「出来事ドリブンな記述」になります。これに対して、マクニールの記述は、「何故それが起きるのか、それは人間の集団のどのような要望がベースとなっているのか」というWhyの問いに答えるものになっている。これは、本質をついた指摘です。

 それでは、常にWhyの問いを立てることが正解なのかというと、そういうわけではありません。重要なのは、Whyの問いとHowの問い、それぞれの特徴を知り、両者を使い分ける、ということです。

Howの問い

 Howの問い、「どのように」の問いに答える文章には、どのようなものがあるでしょうか。最も典型的なものは、説明書の類です。「どのようにすればその製品を使うことができるのか?」という私たちの問いに答えてくれるのが、説明書なのです。このほかに、「ライフハック」だとか、ずばり「ハウツー」と呼ばれたりする、便利情報を提供してくれる本やブログの文章なんかもこれにあたります。「ページビューを伸ばす7つの方法」「3年で預金を5倍にする資産運用」というような。

 これら、Howの問いに答える文章の長所は、まさに知りたい情報を、コンパクトにまとめて伝えてくれる、という点です。答えは、便利な準に箇条書きにしたり、操作の順番で時系列にまとめたりして提示されるのが一般的です。

 しかし、Howの問いで書かれた文章には短所もあります。それは、ダラダラとした、平板な文章になりやすい、ということです。説明書を読んで楽しめる人は、いるかもしれませんがある種の変態の類でしょう(私は、ゲームの説明書を読むのが大好きな子どもでした)。ライフハック系の記事はアクセスを集めますが、これは文章がおもしろいからというより、書かれている内容そのものが興味を集めているからです。また、歴史についてこの問いを元に語っていくと、まずどうなった、次にどうなった、という、「出来事ドリブンな」、教科書風の記述になってしまいます。

 ここから引き出すべき教訓は、Howの問いは、相手が知りたい情報をコンパクトに伝えるのには向いているが、相手が初めから興味があるわけではない話題に関して論じるのには向かない、ということです。言い換えると、内容それ自体の魅力に依存して文章の魅力が決まる、ということです。この点、説明書では読者は使い方を知りたいという前提がありますし、ライフハック記事も基本的にみんなライフをハックしたいので、内容に見合った問いを立てているということになります。

Whyの問い

 Whyの問い、「なぜ?」の問いに答える文章の典型は論文です。はじめに話題に挙げたマクニールの『世界史』も、論文の類だと言って良いでしょう。

 もう一つ例を上げましょう。最近たまたま読んだ、小田中直樹『フランス7つの謎』。この本で挙げられる、「7つの謎」を列挙してみます。

  1. なぜ政教分離をめぐって延々と議論が続くのか
  2. なぜいつでもどこでもストに出会うのか
  3. なぜ標識がバイリンガル標記なのか
  4. なぜマクドナルドを「解体」すると拍手喝采されるのか
  5. なぜアメリカを目の敵にするのか
  6. なぜ大学生がストライキをするのか
  7. なぜおいしいフォーやクスクスが食べられるのか

 一見して明らかな通り、これらは全て「なぜ」の問い、Whyの問いになっています。これは、どうしてなのでしょうか。

 小田中がこれらの問いを「謎」と読んでいるところに、そのヒントがあります。Whyの問いが「謎」であるならば、それに解答を与える本文は、「謎解き」の過程ということになります。これは、Whyの問いで書かれた文章が、読者を引き込み、一緒に考えさせる効果を持っている、ということを示しています。Whyの問いによって提起された謎は、読者を不安にさせ、はやく答えを知りたいと思わせます。つまり、本文を読みたいと思わせる効果を持っているのです。

 この効果はHowの問いと比べると明白になります。既に書いたように、Howの問いに答える文章は、読者を引き込む力をそれ自体で持たない代わりに、コンパクトに情報を伝える力を持っています。このため、情報それ自体にはじめから魅力がある場合に効果的でした。他方、Whyの問いは、読者を引き込み、自分が示す情報にいかに魅力があるかを示す、という効果を持っています。その代わり、情報をコンパクトに知りたい場合には、冗長に響くことになります。(「我々が電源ボタンを押すのはなぜだろうか。それは、押すと電源が入るからである」と書かれたマニュアルを想像してみてください。)

 この違いを意識することは、多くの場面で役に立つでしょう。もしあなたが大学生で、面白いレポートや論文を書きたいのならば、それはWhyの問いで構成されるべきです。しかし、簡単な調査の課題であれば、Howの問いでコンパクトに纏めることが有効でしょう。あるいは、企画をプレゼンするときにも、コンパクトに企画の内容を伝える場合にはHowの問い、企画が持つ魅力をアピールするためにはWhyの問いと、両者を組み合わせることが有効になるでしょう。またこの区別は、書くときだけでなく、読むときにも使えます。この文章はどちらの問いを立てていて、それがどんな効果を生んでいるのか? これを考えながら読むと深みも増しますし、次に自分が文章を書くときに、テクニックを盗むこともできるようになるはずです。

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

フランス7つの謎 (文春新書)

フランス7つの謎 (文春新書)