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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

なぜ「けいおん!」は女の子の理想なのか、あるいは「引き算」であることのリアル

 以下の記事の「女の子になりたい」の部分にある程度共感しつつ。

 「性別を超える」かどうかという話はジェンダーとか難しい話になるのでとりあえず措いておくことにして、着目したいのは指摘である。

放課後のお茶とお菓子、とめどないおしゃべり、いつも一緒の仲良しグループ。これらはそもそもが女性たち自身の理想形の一つではなかったか。

 『けいおん!』に描かれているのは、女性が考える、女性の理想形である。この指摘はおそらく正しい。少なくともあの世界は、男子になじめずに女子にかまってもらっていた(でも彼女はいなかった)男子であった私が垣間見た世界と、直接つながっている。そして、これをある種の理想とする男性のオタクが一定数いたことも、『けいおん!』の大ヒットが証拠立てているように思われる。

 しかし、元の記事で、この理由が「男に守られる女性」の衰退に求められている点にはそれほど同意しない。むしろ、あれが女性の理想形であることは、あの世界を成り立たせている手法にかかっているように思われる。

この手法に関して、私が全面的に同意するのが以下の論である。

けいおん!』の恐ろしさは、引き算の徹底と、 芸術美の粋と思えるほどまで高められた掛け算の構造にある。
ターゲットとなるユーザーが"不快"に思う描写を徹底的に排除し、
"快"に思う描写を、最高の作画・最高のキャラ・最高の演出で掛け合わせ、
100%に近い共感を得る相乗効果を生みだしているのだ。 (アニプレッション : 【萌え論】(3) 『けいおん!』の甘美な世界

ここで強調したいのは、『けいおん!』の手法は「引き算」である、ということだ。はじめにあるのは、「守られるべき存在」でもなければ、「守ってくれる存在」でもない。あのキャラクターたちを生み出しているのは、そのような理念ではない。そうではなくて、現実に、理念抜きに、所与のものとして存在してしまっている女の子たちそのものなのである。そこから、恋愛からくる駆け引きだとか、努力の苦しみだとか、上の記事では触れられていないが、女の子グループに必ずある派閥抗争や内部分裂の惨劇の末の不登校だとか、そういう「あーちょっとこれは…」となる不快な要素を全て除くという作業によって、あのキャラクターたちは成り立っている。

 したがって、その結果として生まれた『けいおん!』のキャラクターが、男性が夢想する理想ではなく、女性の描く「リアルな」理想に近くなるのは当然の結果である。「高校時代、あれさえなければいい思い出だった!」と振り返る女性の、その「あれさえなければ!」を実現したのがあの世界なのだ。だからあれは、頭でっかちな男性の理想ではなく、地に足の着いた、女性の理想なのである。


追記:論理が破綻してたので訂正記事を書きました。