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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

ライブのセットリストくらいネタバレさせてほしい

 昨日、GARNET CROWのラストライブ・東京公演に行って参りました。それについて書きたいこともたくさんあるのですが、とりあえずそれは措いといて。ライブの度に叫ばれることとして、「セットリストのネタバレ禁止」が挙げられます。しかし、これ、本当に禁止すべきなのでしょうか。

 私はセットリストのネタバレには、目くじらを立てる必要はないのではないかと思っています。こう考える理由は、以下の三つです。

  1. 「セットリストへの驚き」は、ライブの重要な要素ではない
  2. ライブは小説や映画に比べて、ネタバレの影響を受ける人が少ない
  3. 「ネタバレ禁止」によって、ライブに参加した人の楽しみが奪われる

以下、順に説明してゆきます。

「セットリストへの驚き」は重要か?

 最初の理由は、「セットリストへの驚き」は、さほど重要ではないというものです。驚きはたしかに、ライブの楽しさの一つの要素ではあるかもしれないけれど、主要な要素とは言いがたいのではないでしょうか。

 推理小説やサスペンス映画との対比で考えてみましょう。これらの作品では、結末のネタバレが禁止されることがあります。ヒッチコックが「サイコ」のネタバレを禁止したという有名なエピソードもあります。たしかに、この種の作品では、結末を知らずに、あれこれと予想しつつ、ワクワクしながら展開を追うことこそが楽しいのだ、という意見も理解できるように思います。そこにこそミステリの醍醐味があるのだ、と。

 しかし、これと同じ論理をライブのセットリストに機械的に当てはめるのは、かなり無理があるように思います。なぜなら、ライブにおけるセットリストが、推理小説における結末と同じだけの重要さを持っているとは思えないからです。もちろん、セットリストの分からない状態で、「どんな曲がくるかな?」と考えるのが、ライブの楽しみの一つだと考える方もいるでしょう。それを全て否定するわけではありません。しかしながら、、ライブでセットリストのネタバレを見てしまったことで、ライブの全体が台無しになってしまった、とまで考える人がどれだけいるでしょうか? 驚きがなくなったことで多少の楽しみがスポイルされたとしても、「結末を知ったことで推理小説の全体が台無しになってしまった」というのと同じ感覚で、「ライブ全体が台無しになった」と感じるでしょうか? ライブDVDのパッケージにはセットリストが書いてあっても誰も文句を言わないのに、推理小説の帯に犯人が書いてあったらかなりヤバい、ということも、驚きがライブの主要な要素ではないということを示しているように思います。

 さらに別の観点からも考えてみましょう。全くライブに行ったことのない人に、「ライブの楽しさって何?」と聞かれたと想像してください。このとき、あなたはどのように答えるでしょうか? 

 「ライブの楽しさ教えてくれ」という2chスレッドでは、この問いに対して、以下のような答えが寄せられています。

まず、会場にいるのは全員そのアーティストのファンであるという点。
テレビとかだと色んなタレントのファンがいるが、ライブでは皆そのアーティストに会うために金払うほどの大ファンだらけだ。
当然、ファンしか知らないネタをやったりするなど、コアな盛り上がりを楽しめる。
そしてやはりアーティストとその場その時間を共有しているという一体感。
こっちに向かって手を振ってくれた!なんて勘違いを存分に味わえる。
(「ライブの楽しさ教えてくれ | ログ速」)

上のような、「臨場感」や「アーティストとファンの一体感」こそを、ライブの楽しさとして挙げる方が大多数だと思います。もちろん、もっとアコースティックなコンサートなら、その代わりに「音」が理由に入ってくるかもしれません。しかしいずれの場合でも、「ライブの楽しさを教えてくれ」と言われて、「セットリストをあれこれ想像して、この曲が来たか! と驚く」ことの楽しさを第一に挙げるひとは、いないか、仮にいたとしても、かなりひねくれていると感じられるのではないでしょうか。

 これらのことは、セットリストへの驚きは、ライブの楽しみの主要な要素ではないということを示しています。

ネタバレの影響を受ける人数の問題

 次に考えたいのは、ネタバレの影響を受ける人数の問題です。小説や映画の場合、未来の読者や視聴者を考慮に入れれば、影響を受ける人数は無限に近いといっていいでしょう。これに対して、ライブツアーでのネタバレが影響を与える人数は微々たるものであるように思います。

 私が昨日参加したGARNET CROWのラストライブツアーは、残り大阪の2公演。会場規模を考えれば、残りの参加人数はだいたい5000人です。しかも、ラストライブという性格上、複数公演に参加するファンも特に多いはず。これを考慮すれば、ネタバレの影響を受ける人の数は、せいぜい3000人といったところなのではないかと思います。無限と3000。比較のしようもないほどの差があります。

ライブに行った人の楽しみはどうなる?

 最後に指摘したいのは、ネタバレを禁止されたことによって、当のライブの参加者の楽しみが奪われる、という問題です。ライブに行ったら、その日のうちに、感動を共有したいもの。とくにブログやTwitter、掲示板等々に、感動を詳細に書き連ねたくなるのが、人情というものでしょう。しかし、「ネタバレ禁止」の一言で、この楽しみは損なわれてしまいます。

 ここで、そもそも、ネタバレを禁止する理由は何だったのか、考えてみましょう。ニコニコ大百科では、以下の様な「ネタバレ」の定義が試みられています。思いっきり独自研究ではありますが、それなりに同意できる定義ではないかと思います。

ある時点まで情報を伏せておくことによる演出効果(おもしろさ)が意図されている時に、その情報を望まない未視聴の人間に教えて視聴する楽しみを損なうことをネタバレという。
ネタバレとは (ネタバレとは) - ニコニコ大百科

 この定義の中で私が注目したいのは、ネタバレが悪であることの根拠が、他人の「楽しみを損なう」という点に求められていることです。私は先ほど、「ネタバレを我慢することで、ライブに参加した人の楽しみが損なわれる」と書きました。このことからは、ネタバレがライブ未参加の人びとの楽しみを損なうのと同様に、「ネタバレ禁止」も、ライブに参加した人々の楽しみを損なう、ということが言えるのではないかと思います。この点に絞れば、「ネタバレ禁止」は、ネタバレが悪なのと全く同じ、「他人の楽しみを損なう」という理由で、それ自体悪であるように思われます。

 ここで言いたいのは、だから「ネタバレ禁止」が悪だ、ということではありません。そうではなくて、ネタバレを解禁することにも、ネタバレを禁止することにも、それぞれデメリットがある、ということです。そうだとすると、少なくとも「ネタバレ禁止」が当然のこと、絶対の正義、のように言われる現状は、奇妙なように思われます。

 以上、3点にわたって、ライブのセットリストのネタバレがそれほど問題とは思われない理由を挙げてきました。みなさんは、どう思われますか?