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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

GARNET CROWとネオアコの微妙な関係

 GARNET CROWが解散してしまいました。

 今回は、彼らの思い出を刻むべく、言葉を繋いでみたいと思います。

 かなり長くなってしまったので、まず全体を予告しておきます。今日着目するのは、初期に彼らが「ネオアコ」として分類されてきた、ということです。彼ら自身の言葉にもかかわらず、この規定には多くの疑義が呈されています。また、近年の彼らの音楽がネオアコから遠く離れた地点へと到達していたことは、議論を待たないようにすら思われます。彼ら自身、メジャーデビューから1年経たない2001年1月のインタビューを最後に、「ネオアコ」という自己規定をしなくなっていきます。それでは、なぜかれらはネオアコと呼ばれたでしょうか。また、彼らにとってネオアコとは何だったのでしょうかか。そして、なぜ彼らはネオアコという自己規定を捨てたのでしょうか。これらの問題を考えてゆくと、彼らがGARNET CROWとして成熟し、揺るぎない自信を持って制作を続けられるようになったのが、2002年、代表作となったシングル『夢みたあとで』と2ndアルバム『SPARKLE〜筋書き通りのスカイブルー〜』が制作された時期だったことが明らかになります。

ルーツとしてのネオアコ

 GARNET CROWの楽曲のルーツはネオ・アコースティックネオアコ)。古くからの彼らのファンなら、一度は耳にしたことがあるでしょう。たとえば、WikipediaGARNET CROWの項目には次のように書かれています。

GARNET CROW(ガーネット・クロウ)は、1999年に結成され、2000年にメジャーデビューした日本のGIZA studio所属のバンド。略称はガネクロ、ガーネット。音楽制作会社ビーインググループ所属の音楽クリエイターを中心とした男女2人ずつの4人で構成され、ネオアコをルーツとした楽曲を制作している。
GARNET CROW - Wikipedia

 こうした言説は、活動を開始した2000年前後の事務所によるプロモーションと、その時期の彼ら自身の発言にその源泉を持っています。2009年に彼らの活動10周年を記念し、フリーペーパー『music freak magazine』の特集を再録・再編集して出版された『music freak magazine Flash Back GARNET CROW 10th Memories 1999-2009』をもとに、このことを見てみましょう。

 まず、彼らのデビュー前、彼らに記事が初めて掲載された第61号。そこでは、彼らの音楽が「ネオ・アコースティックを彷彿とさせる」(p. 3)音楽性を持つものとして紹介されています(筆者不明)。同時に、「ネオアコ名盤セレクション」なるミニコーナーも設けられています。このような紹介の根拠は、もちろん筆者自身の感想もあるのでしょうが、それ以上に、64号のデビューシングル特集に出典不明のまま「引用」として掲載されている、アレンジを担当するリーダー・古井弘人の以下の言葉にあるのではないかと推測できます。

僕はちょっと懐かしい感じのする音楽が好きなんです。それこそキャロル・キングとか、ああいうスタンダードなものとか。アレンジする際も楽器の本来持っている音色を大事にして、今までもいろんなアレンジをしてきましたね。ネオアコは自分はそんなにディープな感じで聴いてたわけではないんですけど、初期のエヴリシング・バッド・ザ・ガールとかはすごく好きですね。今回のアルバムでもそのテイストっていうのはかなり意識しましたし。アズテックカメラでもそうなんですけども、なんでネオアコが好きかって言えば、そういうちょっと懐かしい匂いがする音楽だからだと思うんです。(p. 5)

この引用では、GARNET CROWネオアコとして明確に規定されているわけではありません。むしろ、「懐かしい感じのする音楽」の例としてネオアコにちょっと触れただけのようにも思えます。しかし、この言葉は大きく取り上げられ、記事の筆者(またも無記名記事ですが)も「80年代のネオ・アコースティックと呼ばれた音楽に強く影響を受けた」サウンドとして彼らの曲を紹介しています。このことで、また、おそらくはこれと同様のフライヤーが流通したことで、GARNET CROWネオアコ、というイメージが定着していったようです。

 それでは、ネオアコというのは事務所が勝手にプロモーションのためにつけたキャッチコピーであったのか。そうとも言い切れません。この「ネオアコ」という規定が流通するのと並行して、彼ら自身も自らを「ネオアコ」と称するになるからです。例えば、1stアルバム、『first soundscope 〜水のない晴れた海へ〜』のインタビュー。「アルバムを作るにあたって、何かコンセプトのようなものはありましたか?」という問いに、作曲を担当するボーカル・中村由利と先ほども登場したキーボードの古井は以下のように答えています。

中村:GARNET CROWのルーツでもある、ネオアコ、アコースティックなものをより強く出したものにしようと意識しました。GARNET CROWの原点を思えるアルバムにしようと。
古井:ネオアコといわれているジャンルをただそのまま焼き直すだけでなく、さらに進化したものにできればと考えましたね。(p. 12)

また、同じインタビューではの「リスナーには、この作品がどのように伝われば嬉しいですか?」という問いに、ギターの岡本仁志は「21世紀型ネオ・ネオアコ」と答えています。これらのことから、1stアルバムの制作段階においては、彼らの中で「ネオアコ」ないしその進化形というイメージは共有されていたのだと考えられます。

GARNET CROWネオアコ」への疑義

 以上のことは、彼らの音楽はやはり「ネオアコ」というジャンルに区分されるべき、少なくともそのルーツはネオアコにあるということを示しているようにも思えます。しかしながら、上の多くの証拠にもかかわらず、これには多くの疑義が呈されています。

 たとえば、Wikipediaの「ネオアコ」の項目のノート。

GARNET CROW」なるアーティストが繰り返し記載されますが、アーティスト当人が自称しているという以外、日本において定着している(当項目で記載されている)「ネオアコ」というジャンルと結びつかず、外部における評価にしても彼らを「ネオアコ」とするものは目にした事がありません。また、「既存のパンク・ロック・ハードロックなどの激しい音楽に飽きた世代の中から発生した。」「他国での名称はインディーポップ、ポストパンク、ギターポップ等」とも共通点を見いだせません。「GARNET CROW」を復活追加されようとされる方は、そのあたりを審らかにされた上で追加されることを強く望みます。 --210.165.171.201 2008年9月16日 (火) 18:08 (UTC)
GARNET CROWを繰り返し記載される方へ。代表的であるということはどういう定義なのか、そこを考えて下さい。アーティスト自身が自称しても、あるいはそのアーティスト自体が著名であっても、GARNET CROWがネコアコであるという認識は、一般的では無いと思われます。 --210.165.207.75 2008年11月13日 (木) 12:28 (UTC)
ノート:ネオアコ - Wikipedia

ここでは強い口調で、GARNET CROWネオアコとすることへの疑義が呈されています。

 また、GARNET CROWを論じた文章にも、彼らをネオアコと区分することに疑義を呈したものが見受けられます。

古井弘人は、元々DEENなどBeingGroup所属アーティストへの編曲を行うレーベルアレンジャーとして活動していたが、ガーネットクロウというプロジェクトを立ち上げるにあたりリーダーとなった。
立ち上げにあたり、彼はちょっと懐かしい音楽が好きと言い、ネオ・ネオアコとでも呼べるそういった音楽をやっていきたいとインタヴューに応じた。それまでボイストレーニングを行い、ヴォーカルとしての評価を高めてきた中村由利が加わり、彼女の作曲に古井の編曲を行うというのがガーネットサウンドの基本スタイルとなった。
古井にしろ、中村にしろ、そういったネオアコ的な部分、フリッパーズ的な部分は、既にインディーズアルバムから感じ取ることができない。楽曲にGUは使っているものの、サイドで柔らかに助奏するという形が多く、まずギターポップと呼べるものが全くない。
ヴォーカルの歌唱の独特さと深みのある楽曲に、打ち込み主体のアレンジでJpopに耐えうるような楽曲に仕立て上げるのが古井の仕事といってよかった。特に1STの柔らかい音と深みのある歌詞、特徴的な中間音を持つヴォーカル、打ち込みアレンジでJpop的なサウンドになっているのがガーネット・サウンドと呼べるものだと考えている。
それらをネオ・ネオアコと呼べるかどうかは、ROUND TABLEのような音を聴くと、明らかに異を唱えられる感覚がする。

ガーネットクロウ寄稿文

この考察は、中村がfavorite artistとしてフリッパーズ・ギターを挙げていることを根拠に、「渋谷系」という切り口でGARNET CROWの音楽を分類しようとする試みとなっています。先に引用したインタビューも参照されていますが、ネオアコへの言及は、「ちょっと懐かしい音楽が好き」という程度のこととして理解されています。

 これらのことから、GARNET CROWのルーツを「ネオアコ」としてよいかどうかは、慎重に検討する必要がありそうなのです。

GARNET CROWらしさ」について

 ここまで、GARNET CROW自身が初期には自分たちのルーツを「ネオアコ」だとしていたこと、それにもかかわらず、このことを簡単に肯定することはできないということ、これら二つのことを確認して来ました。どうしてこのようなことが生じたのでしょうか。

 この問いに答えるためには、1stアルバムリリーズ以後の、彼らの発言の変化を追いかけることが有効です。まず明らかに言えることは、ネオアコへの言及がぱたりとなくなるということです。2ndアルバム発売時のインタビューでは、次のように言われています。

●当初は"ネオアコ"というイメージがあったのですが、実際はロック調のものとかダンサブルなものやバラードといった色んなテイストの楽曲がありますね。メンバーの意識がデビュー時とは変化しているのではないですか?
中村:変化って言うよりも、やっている内に自然と変わっていったんです。今度はこれをやろうって決めるよりは、楽曲に取り掛かっていると、自然に振り幅が広がっていったんです。
岡本:ネオアコとは言われていたけど、自分達の中ではそんなに意識していなかった。最近は自分の中でもエレキの比重が高くなっているし。(p. 24)

1年前に「21世紀型ネオ・ネオアコ」とかっこつけていたおかもっち(ギター・岡本)の発言が微笑ましくも思えてしまいますが、それはさておき。ここでの証言によれば、「ネオアコ」という言葉は、はじめからそれほど強く意識されていたわけではなかったようです。ネオアコやネオ・ネオアコを目指したわけではなく、ただ楽曲に打ち込んで、それをよくしてゆく。そんな姿勢が読み取れます。

 この姿勢は、製作中に解散が決まることになるラスト・アルバム『Terminus』制作時まで、変わることはありませんでした。ラストライブとなった『livescope final』のパンフレットのインタビューで、中村は次のように語っています。

GARNET CROWをやり始めてから音楽制作はずっと新鮮だったし、「次はこうしよう」「次はああしよう」という貪欲さが生まれる状態でずっとやってきたんですが、アルバム『Terminus』を作っているあたりから満足感が勝っている自分に気づいたんですね。今までなら曲を作るときも、歌に対しても、欲が湧いてきたのに、そういうものが出てこない。

少し寂しいインタビューではありますが、ここからは、一つのジャンルや型にとらわれず、毎度新たなことに挑戦していくこと、それ自体が彼らのスタイルになっていたということが読み取れます。湧いてくる「貪欲さ」に導かれて新たなステージに進むこと。彼らの「スタイル」は、2ndアルバム以来、ここにあったといってよいでしょう。

 さらに注目すべきなのは、このようなスタイルなきスタイルの確立と並んで、「GARNET CROWらしさ」についての彼らの発言にも、1stアルバムでのインタビューとそれ以後とでは、変化が見られるということです。たとえば、2003年にリリースされた3rdアルバム『Cristerize 〜君という光〜』発売時のインタビュー。インタビュアーは、GIZA斉田才さんです。

●このアルバムは、各曲共個性がすごく違うんですが、前回のインタビューでAZUKIさんが言っていたように、中村さんが歌えばそれだけでGARNET CROWになる、みたいな印象を強く感じました。

AZUKI:その安心感は、すごくそれぞれみんな出てると思うんですよ。
中村:私は歌う人ですけど、アレンジする人も歌詞を書く人もギターを引く人も固定の人なので、その人がやればGARNET CROWになるっていう安心感は私にもありますね。この4人ですれば必ずGARNET CROWの音になるし、っていう。(p. 43)

「前回のインタビュー」が何を指しているか定かではありませんが、AZUKI七は2004年のシングル『忘れ咲き』のインタビューでも「由利っぺが歌ったらみんなGARNET CROWになる」という、同様の発言をしています(p. 57)。4人でやれば、特に意識しなくてもGARNET CROWになる。この信頼感は、解散時まで持続していたようです。ラストライブのパンフレットで、古井も次のように語っています。

メンバー間に制約のようなものはなくて、自由度はかなり高かったですね。自分たちで作っているんだから、自分たちで処理さえできれば自分たちのものになる。そこにメンバーそれぞれの個性が入っていれば、それだけでGARNET CROWとしての説得力があるわけですよ。だからアレンジで右に振ろうが左に振ろうが大暴れしようが大丈夫とはいつも思っていました。

同様に岡本も、「GARNET CROWが続いた要因はなんだったと思いますか」という質問に、次のように答えています。

4人の持ちつ持たれつみたいな関係性ですかね。パズルのピースみたいにポコポコとはまっているから、お互いが自分の役割を気持ちいいと思っている感じがあったと思います。僕にとっては、曲があって、歌詞があって、アレンジがある、そこでギターを弾くことがとても心地良かったですね。

ネオアコからの離陸と2002年

 ここまでを振り返ってみましょう。初期には、やや実態に反する形で、彼ら自身によって「ネオアコ」への言及が繰り返されました。これに対し、2002年ごろから、ネオアコへの言及はなくなります。また、これと並行して、4人で作っているんだから、それだけでGARNET CROWの作品になる、という、四人の信頼関係とグループとしての自信が醸成されていたのでした。

 これらのことから、次のようなストーリーを組み立てることが可能であるように思います。

 結成時から1stアルバムのリリースまで、彼らはなんとか「GARNET CROW」を確立しようと意気込んでいました。シングルも、ものすごいペースでリリースされました。夜通しレコーディングをしていたという中村の証言、『夏の幻』の作詞はスタッフに囲まれた状況でなされたというAZUKIのエピソード、キーボードの前で寝ていたという古井のエピソード等も、この時期の彼らの焦燥感を表しています。そして、このような状況で、「GARNET CROWらしさ」を模索する彼らには、何らかの指針が必要でした。それが、ネオアコだった。ネオアコを自らのルーツと規定することで、また、それを参照項としてそこからの離陸を試みることで、GARNET CROWGARNET CROWらしさを形成して行きました。

 この意識に変化が生じるのが、1stアルバムの完成を経て、2ndアルバムを制作していた時期。4人で作れば、GARNET CROWらしさはおのずとついてくる。記念碑的なシングル『夢みたあとで』のヒットによる自信もあったでしょう。また、彼らが口々に転機と語る1stライブツアーの成功の影響もあったでしょう。2ndアルバム制作も含め、これらの重大事件は全て2002年に起こっています。このような様々な要因が重なるなかで、ともかくも、彼らは4人で支えあうGARNET CROWとして自立してゆきます。ここに至って、GARNET CROWはもう、ネオアコという参照項に頼る必要がなくなったのです。

 こう考えるならば、初期のネオアコへの言及は彼らの不安の現れ、それが消えることは彼らの自信の表れとして理解できるように思えます。そして、この意識の変化は、2001年から2002年にかけて起こってきました。これらのことを、「ネオアコ」とGARNET CROWの微妙な距離は、示しているのではないかと思います。

first soundscope?水のない晴れた海へ?

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夢みたあとで

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SPARKLE~筋書き通りのスカイブルー~

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