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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源

「承認」の起源という問題

以前に、日本のインターネットでよく言及される「承認欲求」という言葉がかなり多義的に用いられているということを、実際の使用例を見ながら論じました。

上の記事では実際のネットスラングとしての使用例だけをまとめましたが、「承認」という言葉はネットでの用法にとどまらない背景を背負っています。そこで、今回は少し切り口を変えて、「承認」という概念の出自から、この概念がなぜこんなにも混乱した仕方で用いられているのかを考えてみます。

 さて、「承認」という言葉の出自はどこに求められるでしょうか。現代の日本で最もよく知られているのはA. マズローが用いたesteemという概念でしょう。「承認」についてまとまった連載記事を最近投稿していた「シロクマの屑籠」のid:p_shirokuma氏は、次のように書いています。

経緯を振り返ってみると、マズローからの一人歩きが無残だなぁと思う一方で、なるほど、承認欲求という言葉はバズワードになるべくバズワードになったんだな、という印象も禁じえない。(ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史 - シロクマの屑籠

ここでシロクマ氏は、マズローこそが「承認」概念の正当な出自であると断定した上で、「マズローからの一人歩きが無残」と結論しているように思えます。

 しかし、この「マズローこそが『承認』概念の正当な出自である」という認識は誤りです。「承認」という言葉は、マズローだけでない、様々な理論を背負って使われています。したがって、マズローだけをひっくり返してみても、なぜ「承認」概念がこんなにも様々な仕方で使われてしまっているのかを明らかにすることはできません。

 このあたりのことを明らかにするべく少し調べてみたのが今回の記事です。ちょっと長いので、結論を先においておきます。

  • 日本語の「承認」や「承認欲求」という語は、政治哲学の術語recognition(英)=Anerkennung(独)、マズローの術語esteem、社会心理学の術語need for approvalの三つの語の訳語として、それぞれ独立に導入されている。
  • 近年では、これらの独立の概念が混同され、「人として認められること」「人として持つ自然な欲求」「自尊心を満たすために実際以上に自分をよく見せようとすること」という三つの意味を「承認」の語が担わされている。

 前回の私の記事では「承認という語には人によっていろいろな意味が込められているので危険」という結論が得られました。これに対し、今回の記事は、なぜこんな悲惨な状況になってしまったのか? を解明するものとなっています。それでは、翻訳の問題からスタートして、混乱の背景を追いかけてみましょう。

「承認(欲求)」は英語では三つに分かれる

この概念がそもそもどこから来ているのか? という問題について、インターネットで手軽に読めるものとして、以下のTogetterまとめがあります。

このまとめを読んでいくと、「承認」という言葉が、英語では全く異なる二つの言葉の訳語として用いられている、ということが分かります。その二つとは、regocnitionと(self-)esteemです。前者は政治哲学者C. テイラー、後者は心理学者A. マズローの術語として紹介されています。また、心理学の事典で確認してみたところ、need for approvalという社会心理学の概念も「承認欲求」と呼ばれているようです。

 ここから分かるのは、不幸にも、意味も出自も全く異なる三つの言葉に、同じ「承認」という訳語が当てられてしまった、ということです。 この不幸の上に、現代日本における「承認欲求」論の混乱も生じているように思えます。

 以下では、これら二つの術語の背景と意味についてざっくりまとめてみたいと思います。

recognition:政治哲学における「承認」

まず、recognitionから考えます。上ではTogetter記事にしたがって、さしあたりC. テイラーに帰属させておきましたが、recognition概念の大元として挙げるべきは何といってもドイツ観念論の代表的哲学者、ヘーゲルでしょう。ヘーゲルは『精神現象学』や『法の哲学』の中でAnerkennungについて論じています。そして彼のAnerkennungというドイツ語の術語(これも日本語では「承認」と訳されます)の英訳語として用いられてきたのが、recognitionという単語です*1

 このドイツ観念論でのAnerkennungという概念が、現代の政治哲学で再び脚光を浴びることになります。先のまとめで挙がっているカナダのチャールズ・テイラー(『マルチカルチュラリズム』等)は、英語圏における最重要人物と言ってよいでしょう。

そのほかドイツ語圏で、フランクフルト学派のJ. ハーバーマスとA. ホネットの名前を挙げることができます。ハーバーマスについては『イデオロギーとしての技術と科学』で展開されたヘーゲルのAnerkennung論があり、これは大著『コミュニケイション的行為の理論』の基礎となっています。

またホネットはハーバーマスの「コミュニケーション」概念では捉え切れないAnerkennungという概念そのものに光を当てようとする論客で、その名も『承認をめぐる闘争』が彼の主著となっています。

また、TogetterにはN. フレイザーの名前も挙がっていますが、彼女についてはホネットとの間で繰り広げられた『再分配か承認か?』という論争を無視することはできないでしょう。

 これだけの論者が少しずつ異なる議論を展開しているので、能力的にも時間的にも詳しく論じることはできないのですが、Anerkennung=recognitionという概念の核心だけを、ざっくり取り出しておきましょう。それは、「人が人であることの基礎にAnerkennung=recognitionがある」というものです。この意味で、recognitionという概念は、単なる欲求以上のものだと言えるのではないかと思います。

esteem:マズロー心理学における「承認」

esteemについては、マズローの主著『人間性の心理学』を出自とする概念だとされています。

マズローへの影響としては、彼の師A. アドラーに加えて、E. フロムやP. ティリッヒからの影響が考えられるようですが、「承認」と訳される術語としてのesteem概念はrecognition概念ほどの歴史はなく、基本的にはマズローに帰属する概念として考えてよいでしょう。特にインターネットでは、「承認」の語をマズローの名と結びつけて理解するのは主流となっています。多くの人の目に触れるところでは、Wikipediaの「承認欲求」の項はマズローに言及しています(承認欲求 - Wikipedia*2。また、この記事の初めに見たとおり、ブロガーのシロクマ氏が展開した「承認欲求」についての議論も、マズローに依拠したものでした。

 このマズローのesteem概念ですが、少し調べると、おもしろいことがわかります。それは、心理学において、「承認」はesteemという言葉に対応する定訳ではない、ということです。たとえば、丸善から出ている『応用心理学事典』(日本応用心理学会編、2007年)では、マズローのesteemに「自己評価・自己尊重」という訳語を当てています(板津裕己「自己実現の欲求」、p. 64)。また、原典を確認できなかったのですが、シロクマ氏の引用から推測すると、マズローの著書『人間性の心理学』の邦訳でも、「自尊心」という訳語が当てられているようです。(承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 - シロクマの屑籠)。また、マズローを離れた文脈では、「自尊感情」という訳語が当てられることも多いようです。このことは、「承認」という言葉と最もよく結び付けられるマズローのesteem概念は、学問的には「承認」と訳されることが最も少ない語である、という皮肉な事態を示しています。

 とはいえ、「承認」という語がインターネットでの全くの創作というわけではありません。たとえば浦上昌則・神谷俊次・中村和彦編著『心理学』第2版(ナカニシヤ出版)では、「承認・自尊」という訳語が当てられています。インターネットで「承認」という訳語がとりわけ流通しているのは、こうした心理学の教科書や高校の倫理の教科書、また一部のビジネス書などで「承認」の訳語が当てられたことと、この語自体が流行したこととの相乗効果で説明できるでしょう。

approval:社会心理学における「承認」

この記事を書き始めた段階では、recognitionとesteemがネットスラングとしての「承認(欲求)」の源泉だろうと考えていました。しかし、調べてみると、これらのほかに更にもう一つ、「承認欲求」と訳される術語があることがわかりました。それは、need for approvalという概念です。以下、事典から引用します。

他者に自分の存在を認めてもらいたい,あるいは自分の考え方を受け入れてもらいたいという欲求をさす。〔…〕承認欲求の強い人は同調性が高いこと,説得されやすいこと,自己評価が低いことなどが知られている。また、まわりの人からよく見られたいために、印象操作を多く行うと考えられている。(吉川肇子「承認欲求」、中島義明ほか編、『心理学事典』、有斐閣、1999年、p. 417)

この「承認欲求」は、例えば被験者の承認欲求の度合いに応じてアンケートの結果を割り引いて捉える、というような目的で用いられるもののようです。

 同じ心理学という分野で用いられている言葉ではありますが、このapprovalとマズローのesteemは全く異なる概念だと言ってよいでしょう。マズローのesteem概念「行動に現れない心理に注目しよう!」というモチベーションからスタートして導入されていたのに対して、need for approvalという概念は、アンケートでの回答の歪みという特定の行動の指標として導入されているからです。

「承認」の三つの源泉と現代日本の「承認」

ここまで、「承認」という訳語が当てられる三つの概念について紹介してきました。日本語の「承認」という言葉は、これらの三つの言葉を融通無碍に行き来する仕方で用いられているように感じられてなりません。

 そもそも人として認められることが承認だ、という使い方をすればそれは政治哲学的なrecognitionに近い意味で用いられています。たとえば前回の記事で見たdankogai氏の用法はこれに近いように思えます。

 他方、人間として生まれた以上承認を求めるのは悪いことじゃないだろう、という論旨で承認が語られる場合には、マズロー的なesteemに近い意味で用いられています。最近のシロクマ氏の連載は、明示的にマズローに言及した上で、この意味で「承認」の語を用いたものでした。

 また、自己評価の低さの裏返しで自分を実際以上によく見せようとしている、という否定的なニュアンスは、need for approvalに近い意味で理解した時に派生してくるのではないかと思います。宮台真司氏が初期に用いていた「承認」という言葉は、この意味を念頭に置いたものであったように思えます。

 以上で、日本語の「承認」という言葉の用法の混乱とその背景についてご理解いただけたのではないかと思います。このあたりの混乱はそろそろ解いておかないと、実害も出て来そうに思えます。例えばビジネスの文脈で「承認」的なことを扱う場合には、政治哲学的な意味は問題にならないでしょう。しかし、マズロー的なesteemであれば、部下の士気を高めて組織マネジメントに活かす、という文脈では有効になることもあるでしょう。これに加えて、マーケティングにおいて顧客の認知バイアスを考慮するといった場合には、need for approvalの意味での顧客の「承認欲求」が重要になるでしょう。

 ビジネスについての実例を考えると、「承認」をめぐる混乱は、「実用に役立てば細かい意味なんてだいたいでいい」と言えない段階にまで来ているように思えます。ここで意味を整理して理解しておくことは、実用面でも有益なのではないでしょうか。

*1:より詳しくはヘーゲルのAnerkennungという概念はフィヒテから借用したものだという話もあるようなので、「大元」という言葉は少し語弊があります。しかし現代政治学の文脈でrecognitionという言葉が用いられるとき、真っ先に思い浮かべられているのがヘーゲルの名前であることは間違いありません。

*2:出典を明示しない、レポートに使っちゃいけないたぐいの記事ですが。