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長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

劇場版「アイドルマスター」感想:「輝きの向こう側へ」という副題の重みについて

アイマス」の映画、見てきました。合計2回。1回目を見た時には全然感想がまとまらなかったのですが、2回目で見えてきたことがいろいろあったので、書いてみます。なお、ネタバレですので一応「続きを読む」に入れておきます。


 この記事では、キャラクターや場面ごとの細かい感想については書きません。書き始めれば、春香の弱くて甘いんだけど甘いなりに成長してるのがどこなのか、とか、いおりんはちょっとプロデューサー不在の割を食って狂言回しを押し付けられすぎだとか、合宿初日のご飯の時に春香についていくのが雪歩であることの意味だとか、千早の菩薩のような笑顔を見る度に泣ける話とか*1、見れば見るほど志保が可愛く見える話とか、いくらでも書けてしまいすぎてとりとめがなくなってしまうので。

 論じたいのは一点。「この作品のテーマは、一体何だったのか?」ということです。

「リーダーとしての春香」はテーマの半分でしかない

全体を通して見た時に何よりもまず印象に残るのは、春香と可奈・志保を中心に展開される、「リーダー・天海春香」の物語です。

「私は、天海春香だから。」

宣伝でも多用されたこのセリフに集約される、後輩を迎えたリーダーとしての春香の奮闘。それを通して(多少ご都合主義的に)描かれる、「自分らしさ」と「団結」の大切さ。これらが、アニメ版アイドルマスターからこの映画が引き継ぎ、発展させたテーマであったことは疑いないでしょう*2

 しかしながら、私は敢えて、本作のテーマはこれにとどまらない、と主張したいと思います。この作品のテーマは、「自分らしさ」と「団結」だけではない。これらの一段上に、さらに大きなテーマが設定され、これが作品全体に一方では深みを、他方では釈然としない感じを与えているように思えるのです。そのテーマとは、何でしょうか。

プロデューサーはなぜ渡米するのか?

その大きなテーマは、ずばり、「輝きの向こう側へ」という副題に表現されています。「輝きの向こう側へ」向かうこと、ハッピーエンドの先へ進むことの怖さと困難さ。これこそが、劇場版アイドルマスターの真*3のテーマだったのではないか。2度目の視聴を終えた今、そう思うようになりました。

 これを象徴しているのが、プロデューサーの渡米というエピソードです。

 実は、リーダーとして奮闘する春香、という話をただ描くだけなら、このエピソードにはそれほど必然性がありません。後輩の育成を任せて春香たちを更に成長させる、という演出は、渡米というエピソードがなくても可能だったでしょう。実際、得意いなくなるわけではない律子や、同じく事務所に残る小鳥・社長も、春香たちに干渉することを敢えて控えているように見えます。また、渡米したはずのプロデューサーは、エンドロールの最後では既に帰国しています。あれを見て、「あんなに引っ張っていた渡米設定は何だったんだ?」という感想を持った方も多かったのではないでしょうか。

 実は私もそうでした。「渡米という設定には何の意味があったのか?」という疑問は、一度目を見終わった時からずっと、モヤモヤとわだかまっていました。しかし、二度目を見て、その疑問に答えが出たような気がしました。その答えとは、プロデューサーの渡米は、春香たちアイドルと、そして観客の私達に、「未来」というテーマを意識させるためにあるエピソードだ、というものです。

 アイドルたちに渡米の予定を告げたあと、プロデューサーと春香が二人で語り合うシーンがあります。プロデューサーは、「10年後、春香は何をしていると思う?」と尋ねます。さらには、「お嫁さんになっているかもしれない」とまで踏み込んだ発言をしています。このセリフには、正直驚きました。アイドルの、その後。結婚。こんなことを映画の中で口に出されては、どうしても、現実のアイドル達が思い浮かんでしまいます。アイドル達の出口戦略。結婚とその後。具体的な名前を挙げるまでもないでしょう。このような想像は、いわゆるサザエさん的時空の中で「トップアイドル」というよくわからない理想像を目指し続けるアイドルマスターという作品にはそぐわないとすら思えます。

 しかし、それでも、この冒険的なセリフをプロデューサーに言わせる必要があった。なぜなら、この台詞によって一気に、この作品の根底にあるテーマが提示されるからです。それが、「輝きの向こう側」。「輝きの向こう側」には何があるのか。「輝きの向こう側へ」進むとは、どういうことなのか。私たち観客は、この問題に、春香やアイドルたちと共に直面させられます。

 こう考えると、Pの渡米というエピソードの重要性も説明できます。重要なのは、Pがアイドルたちの元を離れる、ということではありません。そうではなくて、トップアイドルを育てたプロデューサーが、更に上を目指さなければならないということ、このことこそが重要なのです。このエピソードがあることによって、Pも、アイドルたちも、765プロも、これから更に未来へと進まなければならないという事実が、強調されます。こう考えた時初めて、Pの渡米は必然性のあるエピソードとして理解可能になるのではないでしょうか。

「輝きの向こう側へ」というテーマの射程

本作のパンフレットの裏表紙には、次のような英語の文言が書かれています。

The idols of 765 Productions continue on their never ending journey
――towards a new stage, towards a bright and shiny future!

765プロのアイドルたちは、終わらない旅を続けてゆく。
 新たなステージへ、明るく輝いた未来へ!)

ここに現れる「終わらない旅」という言葉には、製作者の想いが込められているように思えてなりません。「輝きの向こう側」に待つ未来とは何なのか。一度目標を達成してしまったあとで、何を目指して、どのようにすすめばよいのか。本作はこの問いに、直接の答えを与えてはくれません。ただ、「終わらない旅」があることがぼんやりと示されるだけです。

 例えば、可奈との和解のあと、夕日を見ながらライブを想像するシーン。あのシーンでも、「輝き」は描写されていますが、その向こうに何があるのかは、暗示すらされていません。しかし、それでも、ともかくも、「輝きの向こう側へ」進まなければならない。「自分らしさ」と「団結」を大切にするという指針はあるけれど、その先に何があるのかはわからない。その意味で、「輝きの向こう側『へ』」という副題は、答えのない問いを投げかけたまま終わる本作を、正しく表象しています。

 もちろん、「輝き」にとどまっていられず、その「向こう側へ」「終わらない旅」を続けなければならないのは、彼女たちだけではありません。

アイマスは稼働してからもうすぐ9年になりますが、常に動き続けているコンテンツで、今ソーシャルゲームという新しい流れも始まっています。僕自身一ファンとして、この速い流れの中で会いますがこの先どうなっていくんだろう、この向こうに何があるんだろうということが気になっているんです。その先に対して、なにか自分なりにできたらいいなという想いを込めた感じですね。765プロのメンバーと一緒に楽しんで、その先に行けたらという映画です。(p. 8)

パンフレットのインタビューで、錦織監督は上のように話しています。「アイドルマスター」という作品自身も、「輝きの向こう側へ」進まなければならない。

 それだけではありません。私達自身もそうです。彼女たちと同じく、「終わらない旅」を続けなければならない。アイマスを見たあとも人生は続く。まだ見ぬ「輝きの向こう側へ」進まなければならない。こう考えると、劇場版アイドルマスターという作品の恐ろしさが見えてきます。かわいいアイドル達の姿を見に行ったと思ったら、人生の根源的な問いを突きつけられて帰ってくることになるのですから。

まとめ

765プロ組の成長した姿」や「ミリオンライブ組の先輩としての765プロ」という観点からは語り尽くされているように思えたこともあり、敢えて違った観点から感想を書いてみました。輝きの向こう側へ進む怖さを突きつけてくるこの作品。まだ見ていない方はぜひこれを読んだ機会に、もう見た方は新たな観点から見直すために、劇場に足を運びましょう。ぜひぜひ。

*1:ちなみに、私は千早Pです。参考:千早のこと - 長椅子と本棚

*2:「アニメ版アイドルマスターから」とわざわざ書いたのには理由があります。「団結」というテーマは、アイマスに本来備わっていたものかどうか微妙なところではないかと思うからです。というのは、無印のアイドルマスターは、Pとアイドルの一対一の関係がメインになっているからです。「団結」は、「アイドルマスター2」と、その延長線上にあるアニメ版アイドルマスター以来のテーマだと理解するのが適切なのではないかと思います。もちろんそれ以前にもドラマCDやアイドラはありましたし、「団結」という曲もあったので、2で全く新たに出て来たというわけではないのですが。古参乙。

*3:「まこと」ではない。