長椅子と本棚2

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小室哲哉と不倫の倫理学

小室哲哉さんの件を直接のきっかけとして、いわゆる「文春砲」に代表される不倫報道に対する懐疑的な見方が広まっています。ところで、不倫はなぜいけないのでしょうか。ちょっと倫理学的に考えてみましょう。

アリストテレスが挙げている、その名前があてはまるだけで悪いと言えるような行為に、殺人や窃盗とならんで不倫(姦通)があります。これについて、現代の倫理学者C. コースガードは、“Acting for a Reason"という論文の中で、アリストテレスに抗して、「特定の場所・時間において、特定の人物とであれば、不倫を犯すことは正しいことなのではないだろうか、という問いは理解可能だ」と指摘します(C. M. Korsgaard, *The Constituition of Agency,* OUP, 2008, p. 224-225)。彼女は、この問いを、「社会における財産の配分を、なんらかの特別な目的のために侵害することは正しいか、という問い」、つまり、義賊のような存在は許されるかという問いと同等のものだと見なしています。

ここまでの議論は、そのように考えてみる余地がある、と述べているだけだということに注意しましょう。この時点ではコースガードは、不法な仕方で富の再分配を実現することと不倫の両方について、実際に認められるとまでは言っていません。しかし、とにかく窃盗や不倫がそれだけで絶対悪だとまでは言えないかもしれない、と言うのです。実際、『アンナ・カレーニナ』のように、不倫を扱う作品が名作たりうるのは、不倫という事象にどうしても単なる悪として切って捨てられないところがあるからなのでしょう。

さて、その上で、コースガードは、例えば次のような場合には不倫が間違いとは言えないのではないか、と論じています。

  • 不倫相手と、本当に誠実に愛し合っている。
  • 本来の配偶者が15年にわたって昏睡状態である。
  • 配偶者は脳死状態だが、延命措置をやめることは法律で禁じられている。
  • この状況では合法的に離婚することはできない。

これはコースガードが考えた架空の事例だと思いますが、驚くほど小室さんの状況に似通っています。コースガードはセックスを伴う不倫のことを念頭に置いているのでしょうが、小室さんはそれについては否定しているようです。しかし、KEIKOさんは昏睡状態と呼べるほどの状態ではありません。これらを足し引きして考えると、ほぼ同等の状況に思えます。

というわけで、小室さんの事例は、ストレスを抱える介護者をどうサポートしていくかという問題を脇に置いたとしても、倫理学的にみても微妙で、議論するに値する事例だといえると思います。