「これってトリビアになりませんか?」の誤用が気になる
昨今よく目にする「これって、トリビアになりませんか?」というフレーズ。長いので、以下「これトリ」と略そう。この「これトリ」がもともとはテレビ番組『トリビアの泉』のワンコーナー、「トリビアの種」における決まり文句から来ているということは、改めて言うまでもないことだろう。しかし、「これトリ」について特筆すべきは、ネットでの使用例の多くが誤用だということである。
本来の用法
もともとこのフレーズがどのようなときに使われていたか、確かめておこう。「トリビアの種」は、投稿に頼っていたトリビアのネタ切れを防ぐため、実験によって新たなトリビアを作り出す、という趣旨のコーナーであった。公式サイトには、以下のような説明がある。
※「トリビアの種」 このコーナーは、世間ではバカバカしくてやっていないような素朴な疑問を、実際やったらどうなるか番組スタッフが検証し、番組発のトリビア(ムダな知識)を生みだそうというコーナー。トリビア品評会会長・タモリが独断と偏見で「何分咲きの花になったか」評価する。
コーナーの流れは、はじめに視聴者から寄せられた「素朴な疑問」を紹介、その疑問の答えを実験によって明らかにし、疑問の答えをトリビアの形式で発表し、タモリが品評する。このうち、件のフレーズが用いられるのは、はじめの「素朴な疑問」のところである。
この本来の用法がどのようなものだったか、実例を見ながら確認しよう。
この例では、はがきにはまず体験談が書かれ、そのあとに「童話「金のオノ銀のオノ」と同じ状況で、今時の勉強をしている子供達は、正直に答えるのでしょうか?」という「素朴な疑問」があり、さらに「これって、トリビアになるのではないでしょうか?」と書かれている。すこし言い回しは違うが、これが「これトリ」にあたる。さらに、これを確かめるとどのようなトリビアになるか、懸賞の前に空欄を用いて提示されるのもお決まりであった。この場合は「お受験教育を受けている子供達が10円玉を落とした時に「落としたのは100円玉か500円玉か」と聞かれたら正直に答えるのは100人中○○人」という形で、どのようなトリビアになるのかが提示されている。そこから、メインの検証へと移るわけである。確認すれば、「体験談」→「素朴な疑問」→「これトリ」→「可能なトリビア」→「検証」、これが番組における本来の流れであった。
改変ネタの登場
この「トリビアの種」の決まり文句、「これトリ」の改変ネタコピペが、インターネットで大流行したことは、皆の知るところである。ざっと検索してみた限りで古いのは、2chコピペ保存道場にある以下の用例である。
299 名無しにかわりましてVIPがお送りします 2006/08/20(日) 23:44:27.87 ID:k+16CUQA0
窪塚洋介って何階から落ちたら死ぬんでしょうかこれってトリビアになりませんか?
ここでは投稿日時は2006年8月となっている。もとより初出はわからないが、この型の改変ネタは、これより以前から存在していたであろう。ところで、この時点では、「これトリ」の用法それ自体は誤っていないことに注意を促しておこう。つまり、「体験談」は省略されているが、続く素朴な疑問(「窪塚洋介って何階から落ちたら死ぬんでしょうか 」)があって、これを受ける形で「これってトリビアになりませんか?」と書かれている。番組の流れにしたがうならば、このあとに、「窪塚洋介は、○階から落ちると死ぬ」とう形で、生まれるであろうトリビアが提示されることになろう。少なくとも2006年時点では、このような「正しい」改変が主流だったのであろうと予測される。
誤用の発生
しかし、2008年ごろには事情が変わっていたようである(時期についてはきちんと調べたわけではないので、誤りがあるかもしれない)。たとえば、Googleで「これトリ」を検索するとトップに出てくる「肉欲企画」の記事。いくつか列挙されているが、ひとつ引用しておこう。
私はエレベーターの到着を待つ際、ドアのギリギリまで顔を近づけているのですが、そのせいでエレベーターから出てきた男性とキッスをしちゃったことがあります。慌てて謝ったら
「まあまあ、不可抗力ですから。お気になさらず……」と、優しい言葉を向けて下さいました。それでも申し訳ない気持ちを拭いきれなかった私は、その方をお食事に誘ったのです。
夜になり、(事故とはいえ)キッスまでした私たちは光よりも早く打ち解けあい、私と彼はあれよという間に恋仲へと進展。今は幸せな生活を送っています。
幸せって、どこに転がっているか分からないものですね。
『エレベーターのドア直前で待つと素敵な出会いがある』
これってトリビアになりませんか?
(37歳 ビル清掃員 男性)
ここまで記事を追ってきた方ならば、どこがおかしいかお気づきであろう。本来、「これトリ」は「素朴な疑問」のあとに置かれるべきものであった。しかし、ここには「体験談」はあるものの、そのあとにあるべき「素朴な疑問」が存在しない。そして代わりに、完成形のトリビアが置かれている。これは本来の「これトリ」の用法からすれば明白な誤用である。
この誤用がGoogleのトップに来ていることは、こうした「これトリ」の誤用が現在に至るまで広まっているということを象徴しているように思える。また、この記事においては、元ネタにあった「体験談」パートが残存しており、これによって誤用の違和感が軽減されている点が興味深い。未検証ではあるが、このような経緯で誤用が発生してきたのかもしれない。
さらなる派生
もう一つ、「名言に「これってトリビアになりませんか?」をつけると安っぽくなる」という2chスレが、Google上位に来ている。ひとつ引用しよう。
この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。
だれからも自分は必要とされていないと感じることです。これってトリビアになりませんか?
ここに至っては、用法の変化は決定的である。というか、もはや何でもアリの様相を呈している。また、名言のあとに「これトリ」をつけるという性質上、疑問ではなく言い切りのあとに「これトリ」が来るようになっているが、これは本来の「素朴な疑問」→「これトリ」ではなく、「トリビア」→「これトリ」という誤用からの更なる派生であることを示しているように思える。
現在の用例
さて、現在に帰ろう。我々が「これトリ」を目にする機会が最も多い場所として、巨大大喜利場たるTwitterがある。そこでのリアルタイム検索の結果においては、正しい用法と誤用とが拮抗しているのが見受けられる。少し例を見てみよう。まず、正しい例から。
これは本来の用例に沿った、正しい用法である。つまり、「素朴な疑問」→「これトリ」という流れが、正確に継承されている。もし検証すれば、立派なトリビアが誕生することであろう。
一方、以下は誤用の例である。
これが誤用であることは、もはや一目瞭然であろう。「トリビア」→「これトリ」となっているからである。検証すべき「素朴な疑問」は存在しない。また、現在においては「体験談」の体裁をとることも、もはや必要とはされていないことが伺える。さらに言えば、「これトリ」の用例にはこの例のようなシニカルな、あるいは皮肉交じりのものが多いようにも思われる。これは「これってトリビアになりませんか?」という言葉が持つ慇懃な響きや、いつも「これトリ」を発話していた八嶋智人のキャラクターなどに由来するのであろうか。
これほどまでに広まった用法を誤用と糾弾することはもはや野暮というものであろう。しかし、これが本来の用法からずれているということは、もっと自覚されてもよいのではなかろうか。みんな気づいてやってるのだろうか。