長椅子と本棚2

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学会発表で恩恵を受けるのは誰?

 以前書いた「学会での「発表させていただきます」は誤用、ではない」という記事に、id:saebouさんから頂いたコメントが気になったのでリプライします。

えっ…学術共同体って互酬に基づく贈与経済でやってるから、知識を与える人、つまり発表者が恩恵を施す側だよね?
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また、引用からは省略しましたが、「参考」として以下の本を挙げていただきました。

ギフト―エロスの交易

ギフト―エロスの交易

 ご紹介いただいた本まで読めていないくて申し訳ないのですが、おそらく大きく誤解してはいないだろうとたかをくくって、以下気になる点を書きます。ぜんぜん的はずれだったらバカだなーと嘲笑ってください。もちろん、どこが違うか(できればやさしく)教えていただけるともっとうれしいです。

 さて、本題。学術共同体は「互酬に基づく贈与経済」で成り立っている、このことに異論はありません。しかし、後半、「知識を与える人、つまり発表者が恩恵を施す側」であるという点は、議論の余地があるように思います。少なくとも、前者から後者は直接は帰結しませんし、独立して論じることができはずです。

 たしかに、学会発表の聴衆は、新たな知見を得ることができます。この意味で、発表者から聴衆への知識の贈与があり、この意味で発表者が恩恵を施す側である、と言えるでしょう。もし学術共同体における贈与を、この側面だけで捉えるとすると、学術共同体における互酬性は、発表者から贈与された知識への見返りとして、聴衆もまた論文や発表によって知識を与え返す、これが続くことによって共同体が維持される、ということを意味することになるでしょう。しかし、この見方は、全く的外れというわけではないにせよ、一面的であるように思います。

 たしかに、学会発表において、発表者から聴衆への知識の贈与があります。しかし、このとき同時に、聴衆から発表者への知識の贈与も生じているのではないでしょうか。私は元の記事で、「発表者は助言を受けられたり〔…〕して、発表することによって恩恵を受ける」と書きました。発表者は、発表することで、その場で質問を受けたり、また発表終了後の交流の中で、自分の研究内容について、他の専門家と意見を交わすことが可能になります。このとき生じているのは、聴衆から発表者の側への贈与であると言えるでしょう。

 そうすると、学術共同体の互酬性は、単に発表者から聴衆への贈与関係が役割を交換しつつ続く、という単純な性質のものではないことになります。そうではなくて、発表者は発表者として、聴衆と役割を交換することなく、その場で聴衆からの贈与を受けとっているのです。たとえば、いままさにこのブログとブコメでのやり取りにおいても、「発表者が恩恵を受ける」という点に関して意見を異にする方がいるということがわかり、私は記事を書いた側であるにもかかわらず、大きな恩恵を受けました。このような、いわば同時的な互恵関係が、役割を交換しつつ続いてゆくこと。これが、私が考える、学術共同体における互酬性の本質です。

 さらに付け加えるならば、発表は、発表者の研究テーマについてなされます。つまり、その発表の内容や、それに関連するトピックに最も関心があるのは、多くの場合、発表者自身です。そうだとすると、対して興味のない発表を聴かされる聴衆以上に、発表者が発表と質疑応答を通して得るメリットは大きいように思います。つまり、学会発表において一義的に恩恵を受けているのは、発表者自身だということです。

 こういう理由で、私は前の記事で、発表者は恩恵を受ける側だ、と書きました。また、学術共同体は「互酬に基づく贈与経済」で成り立っている、という点に賛同するにもかかわらず、「知識を与える人、つまり発表者が恩恵を施す側」であるのという点に賛成できない理由もここにあります。それゆえ、学会での発表は「させていただく」ものだという結論は揺らいでいません。