「魔女狩り」と自白強要:日本人にパプアニューギニアを嘲笑する資格はない
以前、パプアニューギニアの魔女狩りのニュースについて述べた(パプアニューギニアの魔女狩りと、ヨーロッパの魔女狩りの根本的な違い - 長椅子と本棚)。そこでは、パプアニューギニアの魔女狩りでは魔女が殺人罪のゆえに刑事犯として処刑されているのに対し、後期中世ヨーロッパの魔女狩りでは、魔女は魔女であるというだけで処刑されていた、という違いを強調した。しかし、共通点もある。それは、物証の残り得ない魔術の証拠として、自白が重視される傾向にある、ということだ。拷問と自白、そして自白を根拠とした処刑。魔女狩りの最も恐ろしいところは、この組み合わせにある。
ところで、魔女狩りのニュースにつけられたコメントには、現地の人々を「土人」と罵る差別的なコメントや、「21世紀とは思えない」といったコメントが並んでいる。
はてなブックマーク - 魔女狩り:20歳女性が焼き殺される パプアニューギニア
しかし、魔女狩りの最大の問題点が拷問と自白の強要のセットにあることを思うならば、日本人にこの事件を嘲笑う資格はないのではないかと思える。
魔女狩りと自白の強要
前の記事でも引用した森島恒雄『魔女狩り』によれば、ヨーロッパの魔女狩りでは、自白が最も確かな証拠とされた。このため、自白を引き出すために指の骨を砕く、すねの骨を砕く、熱した鉄の長靴を履かせ、ハンマーで叩く、等々の、残酷な拷問が繰り返された(『魔女狩り』岩波文庫、1970年、101‐114ページ)。
パプアニューギニアにおける現代の魔女狩りでも、被疑者は「拷問の苦痛のなかで、「魔術で」少年を殺したと自白した」ということである。(この情報は、[パプアニューギニアの魔女狩り - 『本を調べる』別館]経由で得た。)
この拷問による自白の強要こそが、魔女裁判の最もおぞましい点である。これに関連して、森島は、20世紀イギリスの最高法院長マクドネルの以下の言葉を引用している。孫引きになるがここにも示しておこう。
魔女裁判は、『自白』というものが不十分であり頼りにならぬものであることを、他のどんな裁判よりも強力に証明している。……動乱の時代においては、裁判が裁判官によって悪用されるおそれのあることを、魔女裁判は明らかにしてくれた。……刑法学を学ぶ者にとって、これはいろいろな意味で教訓的である。(森島『魔女狩り』、113ページ)
日本はパプアニューギニアを嘲笑えない
ところで、日本でも昨今、自白の強要が話題となった。私が念頭に置いているのはもちろん、いわゆる「遠隔操作ウイルス事件」、自白強要事件である。日本で推定無罪の原則が実質的に機能していないことはそれ自体嘆かわしいなどという言葉では済まされないことだ。まして、無実の人に自白を強要することがあってはならないなどと、改めて言うまでもないだろう。それが起こってしまった。この事件は、私には、パプアニューギニアの魔女狩りと重なって見える。
今回の遠隔操作ウイルス事件は象徴的だが、それ以前から、東京近郊の男性は痴漢冤罪の恐怖におびえて生活してきた。映画『それでもボクはやっていない』での描写からは、留置場の生活が、もちろん中世・近世ヨーロッパのような残酷さはないにせよ、実質的に拷問として機能していることが伺える*1。
パプアニューギニアの人々を前近代的と嘲笑する前に、我々は自らを省みる必要があろう。
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*1:もちろん私はこの映画がどれほど真実を描いているか知りうる立場にないが、弁護士だというM.T.氏のブログでは、「裁判官、検察官、弁護士、警察官が実にリアルだ。弁護士からは、ほとんど文句が出ない映画だろう」と評されている。(それでもボクはやってない」をやっと見た。: 弁護士のため息)