長椅子と本棚2

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「WEBにおける文章術=コピーライティング」という嘘

 今日は、「バズ部」の「たった1記事で8万人に読まれる文章を書けるようになるライティング術」という記事に含まれる嘘、ないし誤りについて書く(意図的のようにも思われるので、あとその方がタイトルがかっこいいので、このような書き方をしてみた)。その誤りとは、記事の冒頭で、WEBの文章は紙媒体の文章と違ってコピーライティングが重要、とされている点に関わる。本当にWEBでの文章術と言えばコピーライティングのこと、としてしまってよいのだろうか?

バズ部の誤り

 まずは、誤りの含まれる箇所を引用しよう。

雑誌や書籍などの紙メディアとブログやサイトなどのWEBメディアは似て非なるものだ。

そのため、当然ライティングの構成も変わってくる。それでは、WEBメディアでは、どのようにライティングを構成すれば良いのか?

まず、雑誌や書籍など文章力が必要とされる「紙のメディア」と、ブログやサイトなどコピーライティングが必要とされるWEBメディアの違いを抑えておく必要がある。

単刀直入に言うと、両者の違いは以下の通りだ。

* 紙媒体を読むきっかけ:お金を払って読んでいる
* WEB媒体を読むきっかけ:たまたま目にとまった

紙のメディアは、ほとんどの場合、”購入”を前提としているため、読むことに対する読者の目的意識が高い。

一方、WEBメディアの場合、読むきっかけは「googleで検索した時にたまたま出て来たから」だとか、「FacebookTwitterなどのソーシャルメディアでたまたま流れて来たから」という突発的なものだ。

つまり、読むことに対する目的意識が紙のメディアに比べて低いのだ。

だからこそ、ブログ記事やサイトコンテンツなどのWEBライティングの場合、「いかに文章の中身の質を高めるか?」だけでなく、


* 「いかに多くの人の目にとまるか?」
* 「いかに途中で離脱せずに最後まで読み進めてもらうか?」


も徹底する必要がある。

上の引用では、WEBメディアの文章術と紙メディアの文章術の断絶が強調されている。そして両者の違いは、前者では文章力が必要とされるのに対し、後者では「読みたい」と思わせるコピーライティングが必要とされる、という点に求められている。

 しかしながら、この両者の違いは、WEBと紙という媒体の違いに依存するものではないのではないだろうか。ここでは「お金を払っているか否か」という理由が挙げられているが、実際には紙媒体でも週刊誌等はコピーライティングを重視した文章も多いし、逆にWEBにも質の高い文章もある。それゆえ、ここでのバズ部の記者(?)の主張は、ストーリーとしては理解できるが、事実に反しているように思われる。

レトリックの伝統とコピーライティング

 この点に誤りがあることは、全ての文章術の源と言ってもよい、ギリシャ以来の西洋レトリックの伝統を参照することでよりはっきりする。澤田昭夫は、古典的レトリックにおける読者・聴衆へのアピールの手段として、エートスへのアピール、パトスへのアピール、ロゴスへのアピールの三つを挙げ、さらにこれらを「情意的アピール」と「知的アピール」に大別している。

エートスへのアピールとは、話し手の「正確」が正直で信頼できるものだという印象を聴衆に与えることですから、「倫理的アピール」ともいえます。(中略)パトスへのアピールとは、劇場に訴えて聴衆を確信させたり説得したり擦ることで、「結論」によくでてきます。このふたつをまとめて「情意的アピール」ということができます。それに対してロゴスへのアピールとは議論の合理性によって聴衆の知性に訴える、「知的アピール」です。(『論文の書き方』、講談社学術文庫、pp. 218-9)

 この区別を踏まえて、バズ部の記者の主張について考えてみよう。すると、バズ部の記者が言うWEBの「コピーライティング」は「情意的アピール」に、一方紙媒体の「文章力」は「知的アピール」に力点をおいた文章術のことを指していることがわかる。

 以上が正しいとすると、バズ部の記者は、WEBの文章は情意に訴えるものである一方で、紙媒体の文章は知性に訴えるものである、と主張していることになる。しかし、既に指摘したように、これは誤りだ。紙媒体にも情意的アピールを主眼とした文章(たとえば週刊誌)もあれば、WEB上に論文やそれに準ずる文章が公開されていることもある。

アピールの違いはどこからくるか?

 それでは、いずれのアピールに力点を置くかの違いは、何に由来するのだろうか。それは、媒体ではなく、文章の内容からくる。例えば、いわゆる「ライフハック」系の実用的な記事においては、内容の合理性を疑われることは少なく、それゆえ知的アピールの重要度は下がる。逆に、「役に立って仕事が捗るはずだから読みたい!」という好印象を与えるための、情意的アピールの重要度が上がってくるだろう。他方、論文や社説のような文章であれば、読者は初めから興味を持っていることが多い。このため情意的アピールの重要度は低下する。しかし、その分、主張に納得してもらうための知的アピールのが非常に重要になってくる。

 このように考えるとき、バズ部記者は、本来内容に結びつけて論じるべき情意的アピールと知的アピールのいずれにより力点を置くべきかという問題を、WEBと紙という媒体に結びつけた点で誤っていた、と結論することができるように思う。しつこいようだが、WEB媒体だから情意的、紙媒体だから知的、ということはないのだ。

「PVを稼ぐライティング術」がなんとなくムカつく理由

 バズ部の記事はこのような誤りが含まれている。これがわかると、元MK2さん(と言ってしまっていいんですかね、ちょっと「店長」と呼ぶのも失礼な気がするので)の「なんか気に入らねえ」という反応(参照:アマチュアリズムという幻想 - 24時間残念営業)に代表される嫌悪感を、ある程度説明できるように思う。なぜなら、あの記事では「WEBの文章なんて基本的に読者の感情に訴えておけばよい」という主張が前提されているということになるからだ。そんなことを言われたら、WEBに文章を書き、またそれを読んでいる身としてあまりいい気はしないだろう。

まとめ

  1. バズ部の記事は、コピーライティングとその他の文章術の違いを媒体の違いに結びつけた点が間違い
  2. コピーライティングとその他の文章術は、古式ゆかしい「情意的アピール」と「知的アピール」
  3. どちらを重視するかは、媒体ではなく文章の内容によって決まる
  4. 不満の根源は「WEBの文章は感情に訴えとけば良い」という考え方に集約される

 ちなみに、論文的な文章と実用的な文章の違いについては以前に以下の記事にも書いた。お時間よろしければどうぞ。