長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

ブログは論破されることに意味がある

 今日は私がブログを書く理由について書きます。それは、論破されるためです。言い換えると、自分の見識がいかに狭量で間違っているかを知るためです。

 このブログの記事は、見て頂ければわかるのですが、おそらくはいかにもドヤ顔感いっぱいの上から目線な雰囲気に仕上がっています。でもこれは、別に「真理に気づいてしまった俺が無知な読者のお前らに教えてやろう」と思ってやっていることではありません。そうではなくて、自分がその時点で正しいと思うことを出来る限り率直かつ簡潔に述べることが、議論の作法であり、書き手の責任だと考えているからです。

 特にブクマが伸びた記事などでは、しばしばコメントで辛辣な批判もいただいています。しかも、そうした辛辣なコメントの多くは、私の記事側の間違いを的確に突いています。この2ヶ月書いてきたことの半分くらいは、既に間違っていたのではないかと考えるようになっている程です。これははっきり言って凹むし、とても恥ずかしい。しかし、同時にこれこそがブログを書く意味でもあります。ブログに書かなければ、私は自分の見解が間違っていたということを知ることができなかったはずだからです。知らなかった前提知識を教えられたり、小気味良く論破され、自分では気づけなかった間違いに気付かされることは、頑張ってブログを書き、間違いがわかって凹む、というコストを払うのに十分値することだと思います。

 誰かを論破してしまったとき、得るものは(少しの快感以外には)何もありません。でも、論破されたとき、世界は少し広がるのです。これは何者にも代えがたいことだと、私は思います。