長椅子と本棚2

ダイアリーから移行しました。

ロマンを語るときこそロジックは重要

 昨日書いた記事に関連してもう一つ言いたいことが。なんがすっごい粘着してるみたいで感じ悪いなとは思うのですが、昨日言及した元記事の筆者のけんすうさんご本人が、記事へのブコメで「いろいろなコメントがありますが、このブログはロマンについて話しているのでロジックないです」と発言されていますはてなブックマーク - 「目的があっての手段だ」なんて考え、つまらなくないですか? - nanapi社長日記 @kensuu)。しかしこれは書き手としてはやってはいけない開き直りではないでしょうか。

 問題は、ロジックとは何か、ということです。それは、コミュニケーションを可能にしてくれるものです。誠実に、誰でも納得せざるを得ないような、そして、誤りがあれば誰でも指摘できるような仕方で自分の考えを提示すること。これは、コミュニケーションの基礎にあります。これに反して、「ロジックないです」と開き直って宣言することは、読者とのコミュニケーションを根本から拒絶する不誠実な態度なのではないかと思います。

 このようなことをわざわざ書くのは、「ロマンをロジックで批判するなんて野暮だ」という考えが、「この崇高な理念を批判するなんてけしからん」という権威主義に簡単に転じうると考えるからです。たとえば「アーリア人種こそが世界を支配すべきだ」とか、「原発は即刻ゼロにすべきだ」とか、「鼻血が出ようが一週間とにかくやらせるべきだ」とか、全て一部の人を熱狂させるロマンであって、信奉者にとってはこれをロジックで批判することは野暮そのものだと感じられるんだろうと思うのです。それでも、「ちょっとおかしいぞ」と思ったとき、ロジックこそが、私達に与えられている道具なのではないでしょうか。ロマンなきロジックは確かにつまらないかもしれないけれど、それでもロジックだけがロマンをつき崩せる、この両者の緊張関係は、常に意識されてしかるべきです。