マズローのesteemは「承認」か「自尊心」か?
前回の記事を多くの方にお読みいただきありがとうございました。そのおかげか、記事の中で言及していたシロクマさん(id:p_shirokuma)の目に触れ、ありがたいことに、いくつかの点に反論いただきました。
この記事では、いくつか反論を頂いた中の一点だけですが、応答したいと思います*1。また、応答するにあたって、マズローのesteemの訳語について、前回より詳しく比べましたので、記事の後半ではシロクマさんの反論を離れて、その点について書いています。
シロクマさんからの反論について
私は前回の記事で、「マズローの著書『人間性の心理学』の邦訳でも、「自尊心」という訳語が当てられている」と書きました。これに対して、シロクマさんから以下のような反論をいただきました。
(マズローの著書の邦訳には)ちゃんと承認の欲求って書いてあります。[…]シロクマ氏の引用から「自尊心という訳語が当てられている」と推測なさるなら、もうちょっと細かくチェックして欲しかったです。[…]これじゃあまるでシロクマ氏が勝手に承認欲求という造語をつくったかのようにも読み取れてしまう文章だったので、私は弁明しておいたほうがいいかなと思い、ここに書き記しておくことにしました。(マズローの本に「承認の欲求」って訳語は出てきますよ? 他 - シロクマの更地)
まとめると、私の主張は「esteemの本来の訳語は「自尊心」なのに、シロクマさんが勝手に「承認」という言葉を使っている」というふうにも読み取れてしまう、しかしそれは事実ではない、というのが反論の主旨です。
反論に応えるなら、私の意図はそのように指摘することではありませんでした。むしろ私が言いたかったのは、マズローのesteemには「承認」と「自尊心」の両方の訳語が使われているようだ、ということです。そのうちの「自尊心」の方が使われている箇所の例として、シロクマさんの記事から孫引きしました。「「自尊心」という訳語が当てられている」と書いたのも、「常に自尊心と訳される」ではなく、「この箇所では自尊心という訳語が当てられている」という意味でした。この点、多少誤解を招く書き方になっていたと反省しております。
マズローの「承認」と「自尊心」
さて、シロクマさんの反論からは少し離れてしまうのですが、前回の記事と今回の記事の前半でesteemには「承認」と「自尊心」の両方の訳語が当てられている、と書きました。しかし、これまでのところでは、これは事典などでの記述からの推測でした。前回の記事を多くの方に読んでいただけたこともあり、ちょっと無責任だったかなと思い調べてきました。以下はその報告です。
結論から言えば、合ってました。両方の訳語が使われていました。ただし、esteemは承認、self-esteemは自尊心、という仕方で訳語が使い分けられていました。
マズローの主著、邦訳では『人間性の心理学』というタイトルが付けられている本ですが、原題はMotivation and personalityという本です。幸運にも、Google Booksで、必要な箇所を読むことができました*2。
結局図書館では邦訳を入手できなくて、邦訳については相変わらずシロクマさんからの孫引きなのですが(すみません)、邦訳では「承認の欲求」について述べた箇所の最初は次のようになっているようです。
【承認の欲求】
我々の社会では、すべての人々(病理的例外は少し見られる)が、安定したしっかりした根拠をもつ自己に対する高い評価、自己尊敬、あるいは自尊心、他者からの承認などに対する欲求・願望をもっている。
承認欲求とは――マズローの著書から抜粋 - シロクマの物置
この箇所は、原文では以下のように書かれています(マーカーがついてるのはそのへんの単語で検索したからです。)。
とりあえずわかるのは「承認の欲求」は原文では"The Esteem Needs"であった、ということですね。さらに、邦訳で「評価」「自己尊敬」「自尊心」「他者からの承認」となっている箇所は、"evaluation," "self-respect," "self-esteem," "esteem of others"のそれぞれに対応することがわかります。とくにesteemということについて言えば、self-esteemは「自尊心」と訳されるのに対し、esteem of othersのesteemは「承認」と訳されています。
さらに、前回私が孫引きした箇所をもう一度引きましょう。
自尊心の欲求を充足することは、自信、有用性、強さ、能力、適切さなどの感情や、世の中で役に立ち必要とされるなどの感情をもたらす。
ここは、原文では次のようになっています(段落が変わってすぐのところです)。
これを見ると、the self-esteem needが「自尊心の欲求」と訳されたことがわかります。
以上からわかるのは、esteemが単独で出てきた場合には「承認」、selfを伴って用いられた場合には「自尊心」の訳語を当てるという方針がとられている、ということです。この訳し分けによって、二つの言葉の間のつながりは見えにくくなってしまいました。もちろん、翻訳は大変な作業なので、この点を持って訳が悪いとまで主張するつもりはありません。「二つの言葉のつながり」という点から考えれば問題のある訳でしたが、それを犠牲にすることでニュアンスを再現できるという判断があったのでしょう。
いずれにせよ、英語のesteemは日本語の「承認」とも「自尊心」ともきれいには一致しない、「なんとなく尊重されている感じ」としか日本語では表現できないような感情をふわっと指している、と言って良いと思います。